院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ

 

みんななかよし

 

車の助手席で、細君が笑いながら、「面白い話があるの」と切り出した。彼女が言うには、知人の御主人が、歌の歌詞の意味をずーっと勘違いしていて、つい最近まで自分の解釈を信じていたとのこと。その解釈の仕方がおかしいのだと言う。その歌とは、小学校の頃、道徳の時間に見せられていた番組の主題歌「みんななかよし」である。この番組は、1962年から1987年まで、25年にわたり放映された。懐かしく思い出された先生方も多いのではないだろうか?

 

口笛吹いて〜空き地へ行った〜

知らない子がやってきて〜 遊ばないかと笑って言った〜

ひとりぼっちはつまらない〜

だれとで〜も仲間になって 仲良しになろう〜

口笛吹いて〜空き地へ行った〜

知らない子はもういない〜 みんな仲間だなかよしなーんーだ〜

 

細君が笑いながら話す、知人の御主人の解釈とは、、、。

誰か友達が遊んでないかな〜と期待しながら、空地へ行くと、知っている子は誰もいない。代わりに、知らない子がやってきて、「遊ばないかと笑って言った」。「え〜、それはちょっと」とその場はスルーし、空地を離れ一人で遊んだのだが、やはり「独りぼっちはつまらない」ので、その子と遊んでみようと、空地に戻ったら、その子はもういなくなっていた。「あ〜あ、あの時『うん、いいよ』と言って遊べばよかった」。みんな仲間だもんな、仲良しにならなければいけないんだよね。

「ねっ、おかしいでしょ」と細君。何がおかしいのだろうか?それは私の解釈と全く同じなのだ。「おかしくないでしょ。その通りの解釈じゃない?」私が返事をすると、細君は大声で笑い、そして呆れた顔で言った。「あなたもず〜っと勘違いしていたのね。50年間もず〜っと」。細君が得意げに披露した解釈はこうである。

口笛吹いて、空地へ行ったら、知らない子がやってきて。「あそばないか?」と笑って言った。一瞬躊躇したが、「一人で遊んでもつまらないし」、と思い直し遊んでみたら、楽しい時間を過ごすことができた。その子は、もう、知らない子ではなくなった、みんな仲間だ、仲良しなんだ。

 

「えっ、そうなの?」、私は、自分の解釈に対する、自信の揺らぎを感じながら、息をのんだ。二つの解釈の決定的な違いは、主人公とその子は、遊んだのか、あるいは遊んでいないのか、である。「みんな仲間だ、なかよしなーんーだ〜」は、友達になれてよかったという、達成感であるのか、あるいは友達になれなかった後悔の弁なのかである。道徳の時間の番組であることを勘案すると、どうも細君の解釈の方に分があるような気もしてくる。しかし、私にはまだ疑義が残る。「ひとりぼっちはつまらない」の所で、曲は変ホ長調から突然短調っぽくなり、何かしら寂しげな雰囲気になるのである。そして気を取り直して(元の長調の明るさに戻り)、再び、空地に行くともうその子はいなかった。“Aメロ、Bメロ、サビの曲の流れ、「意気揚々、挫折・後悔・反省、再起」、人間の生きざまを提示し、日々成長する子ども達への熱いメッセージ。そうとらえると、私(知人の御主人含む)の解釈がより深いものにも思えてくる。そして、細君たちの解釈には、少し無理がある(やや強引な)気もする。2回目の「口笛吹いて〜空き地へ行った〜」はその時間と場所、時系列を混乱させるので不要であり(歌詞の流れからは、空地へのアプローチは2回あったと考えるのが自然)、さらに、その子は目の前にいるけれども、もう友達になったので、「知らない子はもういない」というロジックは、小学生向けとしては高度すぎるのでないかという疑問である。

歌詞を間違えて、解釈していたことを、大人になって初めて気づくことは稀ではない。例を挙げる。私はひな祭りの歌の「五人囃子の、笛太鼓」を、(5人兄弟ではあるが、もっと増えたい。6人でも7人でもいい。)と解釈し「五人囃子の、増えたい子」と思っていた。さらに私の姉は、『学生時代』の「蔦の絡まるチャペルで」を「つたの(地名)から、マールチャペル(教会名)で」と最近まで思っていたという。細君の例も挙げる。夕焼け小焼けの赤とんぼで、「おわれて(父母あるいは兄や姉に背負われて)見たのはいつの日か」を、赤とんぼに追いかけられ、振り向き振り向き、「追われて見たのは」とついこの間まで信じていたとのことである。

さて「みんななかよし」に話を戻そう。すべからく芸術作品は、作者の元を離れた瞬間から、その芸術的価値、解釈の仕方はそれを鑑賞する人に委ねられる。作者の意図や高邁な理想との乖離は、芸術家の悲劇・絶望となりえると同時に、その乖離が生み出す波紋が、次の作品を創作する原動力ともなる。解釈の自由度の高い作品は、得てして名作となる資質を有しているものである。そして鑑賞者は、作者の意図を離れて、その作品自体に全身全霊をもって対峙し、自らの目と耳、すべての感性を研ぎ澄まし、、、、、、

隣で聞いていた細君が冷たく言い放った。

「長い負け惜しみだこと」。

 





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